2010.07.26
【お知らせ】 ブログ引っ越しました
2010.06.03
【整理・整頓】 有限で偶然 の話
前のPJのリーダーが亡くなったらしい。
詳しいことは分からない。
状況を知っている人とはまだ直接連絡できていないから。
とても動揺している。
半年前まで隣で仕事をしていた人だったし、
昨日も打ち上げのメールをもらって返信までしていたから。
厳しい人だった。
同時に、辞めた後もとても気にかけてくれていた。
私がPJを抜けた後に会うといつも
「うちのPJ出身なんだから恥ずかしいとこ見せるなよ」
と言っていた。
思えば初めてのPJで、
初めて怒られたのも初めて褒められたのも
この人からだった。
新人の鬼門だった内部報告プレゼンで「安心して任せられる」と言ってくれたし、
仕事が回らず長時間労働になったときも「(まずは)公私を分けろ。仕事をプライベートの感覚でやるな」
と言ってくれた。
生には有限性があるが、死には偶然性がある。
どちらも当たり前すぎること当たり前のこと。
けれど普段は気がつかなかったり、実感が沸かなかったりする。
死は偶然である
みんな何となく、まだまだ生きられるような気がしていると思う。
明日死ぬことなんてありえないと思っていると思う。
でも決してそんなことはなく、
明日事故に合うかもしれないし、
明後日天災に合うかもしれない。
これまでの人生のどんなイベントよりもインパクトが大きいイベントが、
ただの偶然で起こってしまう。
でも生の有限性と死の偶然性があるからこそ、
一生懸命生きられるんだとも思う。
もし無限に生きていられたら、
もしくは視が偶然ではなかったら(いつ死ぬか分かっていたら)、
きっと怠惰な人生になってしまっているだろう。
限りある時間で何が出来るのか考える。
いつどうなるか分からない状況で、その時その時を本気で考える。
生の有限性と死の偶然性があるからこそ、
これらが出来るんだと思う。
リーダーが、
・コンサルという仕事を通して社会にグッドインパクトを与えたように、
・私がずっと「覚えている」言葉をくれたように、
・色々な人に笑顔と影響を与えたように。
生の有限性と死の偶然性と寄り添いながら、
私もそんな風になっていきたい。
何かを残せるようにね。
明日はきっと泣くんだろうな。
感情でしか状況を把握出来ないような気がします。
お疲れ様でした。ありがとうございました。
ゆっくりお休みください。
謹んでご冥福をお祈りいたします。
詳しいことは分からない。
状況を知っている人とはまだ直接連絡できていないから。
とても動揺している。
半年前まで隣で仕事をしていた人だったし、
昨日も打ち上げのメールをもらって返信までしていたから。
厳しい人だった。
同時に、辞めた後もとても気にかけてくれていた。
私がPJを抜けた後に会うといつも
「うちのPJ出身なんだから恥ずかしいとこ見せるなよ」
と言っていた。
思えば初めてのPJで、
初めて怒られたのも初めて褒められたのも
この人からだった。
新人の鬼門だった内部報告プレゼンで「安心して任せられる」と言ってくれたし、
仕事が回らず長時間労働になったときも「(まずは)公私を分けろ。仕事をプライベートの感覚でやるな」
と言ってくれた。
生には有限性があるが、死には偶然性がある。
どちらも当たり前すぎること当たり前のこと。
けれど普段は気がつかなかったり、実感が沸かなかったりする。
死は偶然である
みんな何となく、まだまだ生きられるような気がしていると思う。
明日死ぬことなんてありえないと思っていると思う。
でも決してそんなことはなく、
明日事故に合うかもしれないし、
明後日天災に合うかもしれない。
これまでの人生のどんなイベントよりもインパクトが大きいイベントが、
ただの偶然で起こってしまう。
でも生の有限性と死の偶然性があるからこそ、
一生懸命生きられるんだとも思う。
もし無限に生きていられたら、
もしくは視が偶然ではなかったら(いつ死ぬか分かっていたら)、
きっと怠惰な人生になってしまっているだろう。
限りある時間で何が出来るのか考える。
いつどうなるか分からない状況で、その時その時を本気で考える。
生の有限性と死の偶然性があるからこそ、
これらが出来るんだと思う。
リーダーが、
・コンサルという仕事を通して社会にグッドインパクトを与えたように、
・私がずっと「覚えている」言葉をくれたように、
・色々な人に笑顔と影響を与えたように。
生の有限性と死の偶然性と寄り添いながら、
私もそんな風になっていきたい。
何かを残せるようにね。
明日はきっと泣くんだろうな。
感情でしか状況を把握出来ないような気がします。
お疲れ様でした。ありがとうございました。
ゆっくりお休みください。
謹んでご冥福をお祈りいたします。
2010.05.05
【外出】 GWとサッカーと教育と
GWはいかがお過ごしだったでしょうか。
私はと言うと、まぁそんなに遠出もせずに映画観たり本読んだりしてました。
そんでもって、色々な人がお茶やご飯にお付き合いしてくれたので、思考の拡散と整理もよく出来た気がします。
さて、そんな中で「運動したい!」と思いつき、
厚かましくも大学時代のサークル(サッカー)の合宿に参加させてもらってきました@河口湖
(グラウンドと富士山)
![2010-05-032012.58.20[1]](http://blog-imgs-44.fc2.com/h/g/c/hgchknsk/201005051819143af.jpg)
まぁ、身体は思った通り動きません。
トラップは大きいし、ヘディングは届かないし、ドリブルされたら追いつかないし。
それでも、他のOBとお互い傷を舐め合いながら、楽しく運動出来ました。
今となっては、自然の中でする運動は「贅沢」の一つですからね。
夜は飲み会。
遠くで繰り広げられるコールゲームや色恋沙汰に甘酸っぱい(?)気持ちになりながらも、
実に多くの人と色々な話が出来た、楽しい夜でした。
(サークルらしい飲み会スタイル)
![2010-05-032021.17.45[1]](http://blog-imgs-44.fc2.com/h/g/c/hgchknsk/20100505184949686.jpg)
その中で、後輩の一人と話したことが印象に残っています。
曰く、私と話が出来るのを楽しみにしていたとのこと。
曰く、何年か前の合宿で少しだけした「教育」についての話の続きをしたいとのこと。
(本人はよく覚えてなかったりするのです)
印象に残ったTopicを2つほど。
■考え続けることはツライ
「どうしたら世の中はもっとよくなるんだ?」
「どうしたらこの社会問題は解決するんだ?」
「そのために自分はどうしたらいいんだ?」
このような、答えがないことを考え続けるのはとてもツラいものです。
飲み屋で話題にしたところで「カタイ、マジメ」と言われてしまい、
周りの人と共有するもの難しかったりします。
でも彼はこうも言いました。
「考えるのもツライけど考えないのはもっとツライ」
うん、まさにその通り。
自分の半径50メートル以内の「私的な」ことだけでなく、「公」に対して意識を持つこと。
その信念を持って考え続け、社会に対して貢献すること。
それはツライけれど、社会が変わるにはそれしかないと私も思います。
※
私自身も経験有 →<卒業、恩師からの手紙>
■何かを成し遂げた人は強い死生観を持っている
死生観の話もしました。
ジョブズ(@スタンフォードでのスピーチ)をはじめ、偉大な人物は共通して強い死生観を持っています。
彼らの言葉には本当によく「生きる」「死ぬ」といった言葉が出てきます。
死ぬことへの恐怖、生きることへの感謝、そして、この一度しかない人生の使い方。
普通は避けてしまうような「死生観」に寄り添いながら毎日を過ごすことで、
人生への猛烈なコミットメントが出来るようになるのかもしれません。
彼は将来、公教育に携わる教師になりたいそうです。
彼と話した2つのこと、
(1)「公」を考えるのはツラいけどぜひやって欲しいコト
(2)死生観について考えてみること
は、公教育で取り扱うにはあまりにも有意義なテーマだと思います。
彼がこれらを文字面ではなく、本当の自分の生の体験から紡ぎ出した言葉で語れば、
その後の人生において、大きな意味を持つようになるテーマです。
彼がそのような教師になれることと、
少しでも多くの子供達に気付きを与えられることを願って止みません。
応援してます。
私はと言うと、まぁそんなに遠出もせずに映画観たり本読んだりしてました。
そんでもって、色々な人がお茶やご飯にお付き合いしてくれたので、思考の拡散と整理もよく出来た気がします。
さて、そんな中で「運動したい!」と思いつき、
(グラウンドと富士山)
![2010-05-032012.58.20[1]](http://blog-imgs-44.fc2.com/h/g/c/hgchknsk/201005051819143af.jpg)
まぁ、身体は思った通り動きません。
トラップは大きいし、ヘディングは届かないし、ドリブルされたら追いつかないし。
それでも、他のOBとお互い傷を舐め合いながら、楽しく運動出来ました。
今となっては、自然の中でする運動は「贅沢」の一つですからね。
夜は飲み会。
遠くで繰り広げられるコールゲームや色恋沙汰に甘酸っぱい(?)気持ちになりながらも、
実に多くの人と色々な話が出来た、楽しい夜でした。
(サークルらしい飲み会スタイル)
![2010-05-032021.17.45[1]](http://blog-imgs-44.fc2.com/h/g/c/hgchknsk/20100505184949686.jpg)
その中で、後輩の一人と話したことが印象に残っています。
曰く、私と話が出来るのを楽しみにしていたとのこと。
曰く、何年か前の合宿で少しだけした「教育」についての話の続きをしたいとのこと。
(本人はよく覚えてなかったりするのです)
印象に残ったTopicを2つほど。
■考え続けることはツライ
「どうしたら世の中はもっとよくなるんだ?」
「どうしたらこの社会問題は解決するんだ?」
「そのために自分はどうしたらいいんだ?」
このような、答えがないことを考え続けるのはとてもツラいものです。
飲み屋で話題にしたところで「カタイ、マジメ」と言われてしまい、
周りの人と共有するもの難しかったりします。
でも彼はこうも言いました。
「考えるのもツライけど考えないのはもっとツライ」
うん、まさにその通り。
自分の半径50メートル以内の「私的な」ことだけでなく、「公」に対して意識を持つこと。
その信念を持って考え続け、社会に対して貢献すること。
それはツライけれど、社会が変わるにはそれしかないと私も思います。
※
私自身も経験有 →<卒業、恩師からの手紙>
■何かを成し遂げた人は強い死生観を持っている
死生観の話もしました。
ジョブズ(@スタンフォードでのスピーチ)をはじめ、偉大な人物は共通して強い死生観を持っています。
彼らの言葉には本当によく「生きる」「死ぬ」といった言葉が出てきます。
死ぬことへの恐怖、生きることへの感謝、そして、この一度しかない人生の使い方。
普通は避けてしまうような「死生観」に寄り添いながら毎日を過ごすことで、
人生への猛烈なコミットメントが出来るようになるのかもしれません。
彼は将来、公教育に携わる教師になりたいそうです。
彼と話した2つのこと、
(1)「公」を考えるのはツラいけどぜひやって欲しいコト
(2)死生観について考えてみること
は、公教育で取り扱うにはあまりにも有意義なテーマだと思います。
彼がこれらを文字面ではなく、本当の自分の生の体験から紡ぎ出した言葉で語れば、
その後の人生において、大きな意味を持つようになるテーマです。
彼がそのような教師になれることと、
少しでも多くの子供達に気付きを与えられることを願って止みません。
応援してます。
2010.05.01
【外出】 映画「かいじゅうたちのいるところ」から教わったこと
さて、Twitterをやればやるほどblogをやらなくなるというのはホントなわけで、
しばらく更新が滞っておりました。
なんか、もう少しあっさりとした記事でもいいかもしれないと考えております。
日常のことを短く書くみたいなね。
output(表現)の方法と機会を整備すると、
input(情報収集・知識定着)とthroughput(思考)の質が飛躍的に向上する。
さて、映画を観に行きました。
最近知ったのですが、家から徒歩10分のところに「目黒シネマ」というとこがあって、
これがなんともいい感じなのです。
http://www.okura-movie.co.jp/meguro_cinema/
上映映画は少し前に公開が終わったものなので、見逃した映画が見られるし(2週間単位で入れ替え)、
そしてなんと言っても、毎回2本立てで1500円なのです。
これは休日をリッチに使える予感がしますね。
・これからの上映スケジュール
-しあわせの隠れ場所
-インビクタス/負けざる者たち
-リミッツ・オブ・コントロール
-Dr.パルナサスの鏡
-食堂かたつむり
-ゴールデンスランバー
さて、映画を観ていて以下のようなことを思いました。
(ホントはブログに書くので「後から」考えのですが・・)
■幸せの定義が変わること=>成長
この映画のラストは、石井桃子訳の『クマのプーさん』(原作)のそれによく似ています。
別れのシーンにてクリストファーロビンはこう言います。
「ぼく、もうなにもしないでなんか、いられなくなっちゃったんだ。」
毎日好きなだけ寝て、好きなものを食べて、何もしないことをする。
最初はそんな生活が幸せだったロビンが成長し、何もしないことに幸せを感じなくなった瞬間です。
その時点その時点で思っている当人にとっての幸せは、時間とともに変わるのです。
必要なことは1つの幸せをみつけることではなく、時間の経過とともに変わる質的な変化を認識することです。
これがその人の ’成長’ なんじゃないかとなんじゃないかと思います。
■親との関係
映画では、マックス少年が最後に帰る場所は自分の家であり母親の所でした。
ほぼ全ての人間関係は’利害’で繋がっていると思います(キレイ事なしで)
だからこそ、私自身親のことを考えるときは、自分の親から受ける無償のものについて、
少しばかりの戸惑いがありながらも、測れないほどの感謝をするようになりました。
いや、映画を観たタイミングなのかもしれないけど、
最近前にも増して思うようになってます。
※もし親が60歳で、親に残された寿命が20年だと仮定すると、
1年に親と会う日数が、盆や正月などで6日間。
1日一緒にいる時間が11時間とすると、合計は1320時間で、
これを日数計算すると、わずか55日にしかならないんですよ!
母親に愛されると言うこの経験は受動的である。
愛されるためにしなければならないことは何もない。母親の愛は無条件なのだ。
しなければならないことといったら、
生きていること、そして母親の子どもであることだけだ。
『愛するということ』エーリッヒ・フロム
しばらく更新が滞っておりました。
なんか、もう少しあっさりとした記事でもいいかもしれないと考えております。
日常のことを短く書くみたいなね。
output(表現)の方法と機会を整備すると、
input(情報収集・知識定着)とthroughput(思考)の質が飛躍的に向上する。
さて、映画を観に行きました。
最近知ったのですが、家から徒歩10分のところに「目黒シネマ」というとこがあって、
これがなんともいい感じなのです。
http://www.okura-movie.co.jp/meguro_cinema/
上映映画は少し前に公開が終わったものなので、見逃した映画が見られるし(2週間単位で入れ替え)、
そしてなんと言っても、毎回2本立てで1500円なのです。
これは休日をリッチに使える予感がしますね。
・これからの上映スケジュール
-しあわせの隠れ場所
-インビクタス/負けざる者たち
-リミッツ・オブ・コントロール
-Dr.パルナサスの鏡
-食堂かたつむり
-ゴールデンスランバー
さて、映画を観ていて以下のようなことを思いました。
(ホントはブログに書くので「後から」考えのですが・・)
■幸せの定義が変わること=>成長
この映画のラストは、石井桃子訳の『クマのプーさん』(原作)のそれによく似ています。
![]() | クマのプーさん (岩波少年文庫 (008)) (2000/06) A.A.ミルン 商品詳細を見る |
別れのシーンにてクリストファーロビンはこう言います。
「ぼく、もうなにもしないでなんか、いられなくなっちゃったんだ。」
毎日好きなだけ寝て、好きなものを食べて、何もしないことをする。
最初はそんな生活が幸せだったロビンが成長し、何もしないことに幸せを感じなくなった瞬間です。
その時点その時点で思っている当人にとっての幸せは、時間とともに変わるのです。
必要なことは1つの幸せをみつけることではなく、時間の経過とともに変わる質的な変化を認識することです。
これがその人の ’成長’ なんじゃないかとなんじゃないかと思います。
■親との関係
映画では、マックス少年が最後に帰る場所は自分の家であり母親の所でした。
ほぼ全ての人間関係は’利害’で繋がっていると思います(キレイ事なしで)
だからこそ、私自身親のことを考えるときは、自分の親から受ける無償のものについて、
少しばかりの戸惑いがありながらも、測れないほどの感謝をするようになりました。
いや、映画を観たタイミングなのかもしれないけど、
最近前にも増して思うようになってます。
![]() | 親が死ぬまでにしたい55のこと (2010/04/15) 親孝行実行委員会 商品詳細を見る |
※もし親が60歳で、親に残された寿命が20年だと仮定すると、
1年に親と会う日数が、盆や正月などで6日間。
1日一緒にいる時間が11時間とすると、合計は1320時間で、
これを日数計算すると、わずか55日にしかならないんですよ!
母親に愛されると言うこの経験は受動的である。
愛されるためにしなければならないことは何もない。母親の愛は無条件なのだ。
しなければならないことといったら、
生きていること、そして母親の子どもであることだけだ。
『愛するということ』エーリッヒ・フロム
2010.04.16
【整理・整頓】 「楽しく生きる」と「生きることを楽しむ」 の違い
この間読んだ「ほぼ日」が良かった。
<おとなの小論文教室。「働きたくない」というあなたへ 9>
■「楽しく生きる」と「生きることを楽しむ」
結構長い連載物なので興味のある人は読んでみて欲しいのだけど、
これが一番自分の中に残りました。
「楽しく生きる」のではなく「生きることを楽しむ」
前者は少し前を向いてというか、目標のようなイメージです。
対して後者は、今々起こっていることと起こったことに対しての感じ方、のようなイメージだと思いました。
この「ほぼ日」を読んだ後に、友人の発言がこの話と繋がりました。
友「天気がよくて暖かい日は幸せだよね。」
私「でも明日は雨で寒くなるらしい、嫌だな。」
友「私は天気が悪い日も幸せだよ。」
自分も含めて「楽しく過ごしたい」とか「幸せになりたい」みたいな考えのクセがある人は、
こんな傾向があるような気がします。
・外部環境のせいにしてしまう
例)「○○のせいで〜」
・「楽しい/幸せに」というある意味脅迫観念
例)「最近なんとなく楽しくないな。なんとかしなきゃ」
そして、その’楽しい’とか’幸せ’はフワフワしたイメージであることが多い気がします。
なぜなら、自分の思う「こうしたら楽しい人生が送れるハズ」とか「これがあれば人生の幸せだ」というイメージは、自分の過去の経験からしか抽出出来ないから です。
■マッチョな人
でも世の中にはマッチョな人も多くて、
20数歳にして今後の夢や目標を決めることが出来るほど、深い、多様な経験をしている人もいます。
また、マッチョな人は自分の夢や目標に向かって努力し、実行し続けることが出来ます。
つまり「楽しい生きる」ためにその楽しい(=夢や目標)を定義し、それを実現してしまう人です。
私自身は、自分はマッチョではないと自覚しています。
(普通よりはマッチョかもしれないけど、周りにすごマッチョが多すぎる)
マッチョにはなりたいです。でもマッチョになるのはとても難しいと思ってます。
ついつい寝すぎてしまうし、勉強習慣も断続的だし、楽な方に逃げてしまうし。
■「生きることを楽しむ」ことは割と得意
マッチョじゃないので、「楽しく生き」ようと思うと罠にハマってしまう。
でも逆に「生きることを楽しむ」ことは得意なんじゃないかと思っています。
幸せの沸点を低く出来たり、自分の身の回りに自分の嫌いなものを置かないようにしてたり、
毎日を楽しく過ごしているという実感はあります。
■自己啓発本が嫌いなヒトも
「生きることを楽しむ」ためには、日々の習慣が大事なんだなと思います。
紹介してもらった下記の本は役にたちました。
ほとんどが「気持ちの」問題なんだろうけど、日常出来る習慣が載っています。
その中でも特に、実践して効果があると思うものはこれ。
1、マジックフレーズを呟く(私の場合は「楽勝でしょう!」)
「あー怒られそう」というときや、とんでもない仕事量やプレッシャーでテンパリそうなときに。
4、イメージウォーター
水分を摂取するときに、身体に染み込んでいくのをイメージする。
9、「3つの首を回す」
30分に一度はストレッチ。特に首、肩、背中。頭の回転が全然違います。
148、小さな喜びを与える
興味を持つ、質問をする、お礼を言う。
ホントにたいしたことありません。
でもだからこそ、毎日何回も実行する機会があるし、
習慣になるとビックリするくらい毎日を楽しむことが出来ます。
自己啓発本が嫌いなヒト(?)も多いけど、もったいないなーと思います。
そういうヒトに限ってネガティブな発言ばっかりだったり。
■まとめ
「楽しく生きる」と「生きることを楽しむ」ことは、結局どちらも意識したほうがいいと思います。
前者だけだと、自分の経験やイメージだけで「楽しい」を想像してしまい、楽しくないときに悲しいし、
後者だけだと、「人生毎日が楽しけりゃいいや」と、所謂’スモールハッピネス’の状態になってしまいます。
マッチョなヒトであれば「楽しく生きる」タイプはベストマッチです。
自分の「楽しい」を定義して、それを実現出来るエネルギーがあるから。何よりそれ自身がエネルギーになるから。
でも多くのヒトに対しては「生きることを楽しむ」」をオススメします。
毎日なんて「やりたい事が出来なかったり」「人間関係はめんどくさかったり」「愚痴ばっかりになったり」、
そんなもんです。
だからこそ、そういう状況で自分なりに楽しむ方法を見つけて欲しいと思います。
全ての状況と出来事を楽しんでいけば、後々振り返ったときに結果的に自分の望むような人生になっているんだと思います。
「生きることを楽しむ」が8割、「楽しく生きる」が2割というハイブリット型
最近の結論はこれです。
<おとなの小論文教室。「働きたくない」というあなたへ 9>
■「楽しく生きる」と「生きることを楽しむ」
結構長い連載物なので興味のある人は読んでみて欲しいのだけど、
これが一番自分の中に残りました。
「楽しく生きる」のではなく「生きることを楽しむ」
前者は少し前を向いてというか、目標のようなイメージです。
対して後者は、今々起こっていることと起こったことに対しての感じ方、のようなイメージだと思いました。
この「ほぼ日」を読んだ後に、友人の発言がこの話と繋がりました。
友「天気がよくて暖かい日は幸せだよね。」
私「でも明日は雨で寒くなるらしい、嫌だな。」
友「私は天気が悪い日も幸せだよ。」
自分も含めて「楽しく過ごしたい」とか「幸せになりたい」みたいな考えのクセがある人は、
こんな傾向があるような気がします。
・外部環境のせいにしてしまう
例)「○○のせいで〜」
・「楽しい/幸せに」というある意味脅迫観念
例)「最近なんとなく楽しくないな。なんとかしなきゃ」
そして、その’楽しい’とか’幸せ’はフワフワしたイメージであることが多い気がします。
なぜなら、自分の思う「こうしたら楽しい人生が送れるハズ」とか「これがあれば人生の幸せだ」というイメージは、自分の過去の経験からしか抽出出来ないから です。
■マッチョな人
でも世の中にはマッチョな人も多くて、
20数歳にして今後の夢や目標を決めることが出来るほど、深い、多様な経験をしている人もいます。
また、マッチョな人は自分の夢や目標に向かって努力し、実行し続けることが出来ます。
つまり「楽しい生きる」ためにその楽しい(=夢や目標)を定義し、それを実現してしまう人です。
私自身は、自分はマッチョではないと自覚しています。
(普通よりはマッチョかもしれないけど、周りにすごマッチョが多すぎる)
マッチョにはなりたいです。でもマッチョになるのはとても難しいと思ってます。
ついつい寝すぎてしまうし、勉強習慣も断続的だし、楽な方に逃げてしまうし。
■「生きることを楽しむ」ことは割と得意
マッチョじゃないので、「楽しく生き」ようと思うと罠にハマってしまう。
でも逆に「生きることを楽しむ」ことは得意なんじゃないかと思っています。
幸せの沸点を低く出来たり、自分の身の回りに自分の嫌いなものを置かないようにしてたり、
毎日を楽しく過ごしているという実感はあります。
■自己啓発本が嫌いなヒトも
「生きることを楽しむ」ためには、日々の習慣が大事なんだなと思います。
紹介してもらった下記の本は役にたちました。
![]() | 仕事で疲れたら1分間だけ読む本―手遅れにしない96の「自分ケア」 (成美文庫) (2009/05/05) 松本 幸夫 商品詳細を見る |
ほとんどが「気持ちの」問題なんだろうけど、日常出来る習慣が載っています。
その中でも特に、実践して効果があると思うものはこれ。
1、マジックフレーズを呟く(私の場合は「楽勝でしょう!」)
「あー怒られそう」というときや、とんでもない仕事量やプレッシャーでテンパリそうなときに。
4、イメージウォーター
水分を摂取するときに、身体に染み込んでいくのをイメージする。
9、「3つの首を回す」
30分に一度はストレッチ。特に首、肩、背中。頭の回転が全然違います。
148、小さな喜びを与える
興味を持つ、質問をする、お礼を言う。
ホントにたいしたことありません。
でもだからこそ、毎日何回も実行する機会があるし、
習慣になるとビックリするくらい毎日を楽しむことが出来ます。
自己啓発本が嫌いなヒト(?)も多いけど、もったいないなーと思います。
そういうヒトに限ってネガティブな発言ばっかりだったり。
■まとめ
「楽しく生きる」と「生きることを楽しむ」ことは、結局どちらも意識したほうがいいと思います。
前者だけだと、自分の経験やイメージだけで「楽しい」を想像してしまい、楽しくないときに悲しいし、
後者だけだと、「人生毎日が楽しけりゃいいや」と、所謂’スモールハッピネス’の状態になってしまいます。
マッチョなヒトであれば「楽しく生きる」タイプはベストマッチです。
自分の「楽しい」を定義して、それを実現出来るエネルギーがあるから。何よりそれ自身がエネルギーになるから。
でも多くのヒトに対しては「生きることを楽しむ」」をオススメします。
毎日なんて「やりたい事が出来なかったり」「人間関係はめんどくさかったり」「愚痴ばっかりになったり」、
そんなもんです。
だからこそ、そういう状況で自分なりに楽しむ方法を見つけて欲しいと思います。
全ての状況と出来事を楽しんでいけば、後々振り返ったときに結果的に自分の望むような人生になっているんだと思います。
「生きることを楽しむ」が8割、「楽しく生きる」が2割というハイブリット型
最近の結論はこれです。


